愛着のある仕事との別れは宿命である
会社員であれば、人事異動はつきものである。
私の場合、愛着があり気合を入れて取り組んできた
ある取り組みが、親会社への出向という形で
手から離れてしまったことがある。
画像引用元:https://goo.gl/X6Z4xt
愛着のある仕事、
いつかは自分の手を離れてしまうことを
覚悟しながら取り組む、
そんなことを思いながらこの記事を書いていく。
人事異動という要因で愛着のある仕事から
手が離れる場合もあるし、
女性であれば産休明けに職場復帰をしたら
愛着のあった仕事に就けないという場合も
あるだろう。
会社員であれば、会社の意向に沿うことが
必然的になるだろうが、
個人的には「何の仕事をするか?」よりも
「誰と仕事をするか?」の方が
とても大事だと思っているため、
新しい仕事に就いた場合は、
「誰と?」に注目をして仕事をしてきたつもりだ。
今、大きなプロジェクトを任されている。
そのメンバーは気心知れた、
そして言いたいことが何でもお互いに言える
人物数名で構成されている。
- わからないことはわからないとはっきり言える
- 互いの意見に聞く耳を持っている
- 異なる意見を言う場合は代替案をセットで言う
というように、
何かの課題や問題をクリアにするために、
時間を忘れて議論するようになってしまった。
そのプロジェクトは、全メンバーがこれまで
経験したことがない取り組みであるが故、
徹底的に知らないことを知ることから始まり、
情報共有、有識者の考えや意見など
そのプロジェクトを成就させるために、
暇さえあればプロジェクトのことを考えるメンバーばかりだ。
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いずれそのプロジェクトは終わりを告げ、
その仕事をベースにした発展系の仕事が
私たちに降りかかってくるのは間違いない。
しかし、定年という避けては通れない壁に
必ず突き当たるのである。
その瞬間、愛着のある仕事は私の手から
離れてしまうのだ。
その時には
「粉骨砕身の気持ちで取り組んできた自負」
を持ち、喜んで後輩にその仕事を渡せる
自分になりたいと思っている。